休んでいる日は、何となく好きだった。
体が丈夫でなかった昔は、よく学校を休んだ。時間がゆっくりと流れ、その中で好きなだけ体を伸ばせるからかも知れません。

休んだら、布団の中で、こっそり本を読む。お気に入りは「きゅうりの下で会いましょう」と、「ものおきロケットうちゅうのたび」。学校を休むと、お母さんに図書館からこの本を借りてきてもらった。何故買わなかったのかは、よく分からないけど・・・。とにかく、休む、ということが好きだったはず。

なのに、いつから休みが辛くなったんだろう。

長田弘『深呼吸の必要』(晶文社)に、
大人になる瞬間はいつなのか?ということをテーマにした詩がある。
タイトルは、『あのときかもしれない』。

中学のとき、国語の教科書で知った。

その詩では、例えば、「どこかへ行くときに、寄り道したり石蹴りしたり塀の上を歩いたり、という事をせず、どこかへ行く、ということが単なる点と点を結ぶためのノルマになってしまったとき」など、大人になる瞬間がいつか、ということがテーマになっている。

私の「そのとき」は、休みの日が何となく辛くなったときだったのかも知れない。
休みの日に、自分を責めてしまうようになったとき。

長田さんの表現を真似れば、

そのときだったんだ

休みの日に、仕事の事を考えて自分を責めてしまうようになったとき

何となく休みの日が辛くなったとき

そのとき、君はひとりの子どもじゃなくて、ひとりのおとなになっていたんだ


もう随分遠くまで来てしまったんですね。
いつまでも変わらない自分であるように思えて、知らないうちにどんどん変わっていく。
自分も知らない、自分の変化。
時間の連続の中でいったいいつ、「そのとき」は来てしまったんだろう。

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