自宅で仕事することに、限界を感じる。
頭を仕事モードに切り替えるのが大変。
焦るばかりで全然進まない。

もともと、休日の持ち帰り仕事でもカフェや喫茶店に行かないと、原稿に集中できない性質だった。

家で仕事できていいねと言われるが、私はそんな風には思えない。
集中しにくいだけではない。
プリンタ、用紙、インク、在宅でかかる諸々の経費はすべて自腹。
書き物業にとってはなかなか馬鹿にならない。





テレワーク雑感

2021年1月26日 日常
ほとんどがテレワークとなり、人と直接は対面せずに仕事をする日々だ。

移動時間分、作業効率は良くなった。

一方で、これでいいのだろうかとも考える。
駆け出しの時、電話取材について「邪道である。対面取材が基本だ」と言われ続けたせいか?
それとも古臭い現場主義?

通勤時間は自然な運動の時間でもあったんだな、と思わされる。
ずーっとデスクの前にいるという経験は今までなかった。
体のあちこちに、不具合が生じているような気がする。

時間外にも仕事のことばかり考えてしまって全く落ち着かない。
家を職場にするとはそういうことだ、仕方ない。
出勤しなければならない人のことを考えろ、その通り。

運動はしなければならない。
だがいい加減、近所の散歩には飽きた。
一昨年まではほとんど家にいなかったので、この街のことは知っているようで知らなかった。
昨年一年間でずいぶん近隣に詳しくなった。

街並みは変わらないようでありながら、少しずつ変わっている。
閉店の波は都内のここにも押し寄せている。
長年あった古書店、美容室、天丼屋さん、一昨年開店したばかりのレストランなどなど。コロナの影響なのかどうかは、分からない。
そこで働いていた人たちは、今どこへ行ったのだろう?

苦境により、近所の喫茶店がクラウドファンディングに乗り出すという。
だがバックの説明がなく、支援金使途に「借金返済」とあるので、不快感を示す人も少なからずいるようだ。
クラファンではなく、「寄付金」という形にした方が正確なのではないだろうか。京都大学iPS細胞研究所のような形で。
そもそもの意味とは違った形でクラファンという用語が使われる事例が、コロナ禍によって急増したように思える。


1月16日の日記

2021年1月16日 日常
テレワークで自宅に溜まった仕事関係の書類を一気に片付けた。
物が増えると頭もごちゃごちゃしてくる。
ちょっとすっきりした。
片付けは終わりなき戦い。
コロナ禍から1年、昨年は仕事もコロナに終始した。
しんどくなることはしょっちゅう。
退職してニュース対応とは一切関係ない生活を送ることを夢みる。

あとは秘密にて↓

2月27日の日記

2020年2月27日 日常
今日は疲れすぎたということしか書く気力がない。

災害雑観

2020年2月27日 日常
以前自然災害について大型特集を組んだ。主として地震災害で、関連で災害心理学の取材にも行った。今、そのときの話をよく思い出す。
(パンデミックも災害の一つであり、扱った。かつて国連防災会議に取材に行ったときもパンデミックは議題として取り上げられていた。)

不安に陥った人々の動きというものが、恐ろしいうねりとなっているように見える。正しく怖がるの意味が、いつの間にか極端な方向に使われ、本来の意味を失いつつある。

不安は、生存本能が生み出す自然な感情だ。
嬉しさ、喜びなどポジティブな感情の持続時間が短期的であるのに対し、不安は問題が解決されるまでしつこく残り、先が見えない場合には肥大する。
その様子を今まさに観察しているという思いだ。

スマホからキーボードを使わず打っているため、改行など読みにくい点があれば申し訳ありません。

2月26日の日記

2020年2月26日 日常
Twitterは短文即時的思考、こちらは落ち着いて考えた文章と住み分けしたい。なかなか後者の時間が取れない。取り合えず体力をつけたいのと、満員電車避けで走ったり自転車シェアリングサービス使ったりして濃厚接触に気を付けている。

2月25日の日記

2020年2月25日 日常
シャレにならないくらい深夜まで働いていて常に頭が痛い。

2月24日の日記

2020年2月24日 日常
またしても徹夜で作業してしまって今午前4時40分。
頭がいたい。徹夜すると体が冷える。
まあシャレにならないくらい忙しいときは交感神経優位になってて戦闘モードで疲れは感じないんだけれど…。
コツコツ準備するようなものだといつまでも達成感がなくて疲れてしまう。

2月21日の日記

2020年2月21日 日常
ひみつ日記のみ↓

2月17日の日記

2020年2月17日 日常
・働き方改革のために休んだ。だがペンディングの取材が気になって気が休まらず。
そのエビデンス(笑)として、きょうは吐き気が酷かった。呑気(どんき)症の症状で、食い縛りや空気を呑み込みすぎることで起きるという。治療法はリラックスすることくらいしかない。
やたら喉が乾く。呑気症に関連していることは明らかだ。吐き気のために、マスクをしていると息が苦しい。

・Twitterで自分の過去の呟きを発掘してみた。
温故知新。だんだん、文章に対する姿勢が雑になっていると分かった。これがやめようと思ったひとつの理由だ。
真面目な考えや意見を書こうとすると140字には収まらない。
スレッドにすれば良いという意見もあるだろう。だが、多くのオーディエンスはさほど辛抱強くない。スレッドのエンゲージメントを見ても、大抵最初のツイートしか人は見ないのだ。そして文章の分断は美しくないんだよなあ。

ともかくも、かかる状況では発言の真意は伝わらない。あるいは分かりにくくなる。
エセー的なものを書きがちな私には向かない。何か宣伝したいことがあるでもなし、他の人のツイートのオブザーバーに戻るのが良いと思った。

・Twitterを始めるとき、9年間は他者のTwitterを観察し、10年目の1年間だけ私もプレーヤーとして呟いてみようと計画した。
今のSNS環境は好きでも嫌いでもないが、多くの人がやっている。呟きがどのような体験になるのか、一度はやってみようと思った。

それで、昨年2月から少しずつ、日常的に呟くことを心掛けた。
そして今月、10年経ったのでとお別れをした、
つもりだった。

今日Twitter社から、Twitter9周年アニバーサリーですとの通知が届いた。
なんと自分は年数を数え間違っていたのだ。

私の10年計画は、こうして失敗に終わった(笑)
あと1年やりますか!

メモ

2020年2月16日 日常 コメント (1)
メモ
後で調べること:
♪静かな静かな里の秋♪で始まる唱歌『里の秋』の歌詞中、「お~せど~に木の実のおちる夜は」とある。
「おせど」とは何ぞ?

写真は街中で見掛けた貼り紙。事情が気になる。
2月15日の日記 追記
2月15日の日記 追記
◇今の髪型に飽き飽きしたので、カットしてデジパをかけた。今日サロンに電話して即日空きがあったのでラッキーだった。
デジパはその場の思い付きだったものの、正解だった。年末に入れたインナーカラーがいい感じに表に出た。
あとは自宅でカールを再現できるかどうかだなあ…。

◇読み終わった本で手元に残さないものを、古書店に売却しようと思った。今回の整理整頓は専門書以外なので、手っ取り早く近所のブックオフに持っていこうかと。
帰宅すると面倒になるので、キャリーケースに詰めて美容院に持参した。
美容師さんは本が好きらしい。
「欲しいものがあれば差し上げます」と申し出たところ、なんと全部貰ってくれた。売ってもどうせ二束三文。本の行き先としてブックオフはあまり好きじゃない。だから、欲しい人に譲ることができてうれしかった。

◇気づけば同年代の同性の友人とご飯や飲み、遊びに行くことがほとんどなくなってしまった。みんな子育てに忙しい。私はと言えば空く日がまちまちでしかも夜、深夜ばかり。タイミングが合わないのは当然だけど、何だか寂しい。
男性とばかり出掛けていると会社の人に知られると面倒だなあ。新聞記者ほど噂好きの人種もなかなかない。

でも結局、ライブ行くのも飲むのも男性の友人とばかりになる。彼らはほんとにただの友達だが知り合いに目撃されるとなかなか信じてもらえない。ほんと、どこにでも記者はいる。自社だろうと他社だろうと知り合いであれば同じことになる。自分も男性ならよかったのにと思う。
さしでなく3人以上の会合にしたい。でも予定を合わせられた試しがない。
ああ女子の友達がほしい。

◇So unprofessional.
下調べ、準備不足(怠慢)としか思えない文章(リリース)を目にして、非常に幻滅した。
ちょっとでも調べていれば間違うはずの無いこと(ファクト)を間違っている。

何かのテーマを扱うのなら、それについてしっかりと調べ理解を深めるのが最低限、プロの仕事だ。それが創り手の美意識、対象・モチーフへの敬意、作品における理想の追求などの姿勢を見る側に感じさせる。

上述の間違いは彼らが遊び半分、自分達が楽しむためにやってるのか?と思ってしまうほど。井の中の蛙、大海を知らずという言葉が脳裏をよぎり、急激に自分の心が離れていくのを感じた。

他人の文章に手を入れたくなるのは自分の職業病だが、基本的すぎる間違いでひどい。がっかりだ。そんな姿勢で作られたものに掛けている時間は、こっちにはない。今後修正されないようなら本当にがっかりだ。
以下ひみつ↓

2月14日の日記

2020年2月14日 日常
2月14日の日記
2月14日の日記
2月14日の日記
・日記の文章が考えられない程度にへとへとだ。ちょっと休みたい。人は減り仕事は増える。私は何のために仕事しているのだろう?

・subpoena(召喚状)をsupernova(超新星)に空目した。それもこれもベテルギウスのせいだ。爆発するのかしないのか。はっきりせい。

・気分転換にヨドバシアキバの6階おもちゃフロアーに行ってみた。私の知らない遊びがたくさんあった。レゴコーナーにお目当てのものが無くて残念。
そのあと1フロア上のタワレコに行った。Swimming Tapesのアルバムは置いてなかった。。お買い物運のない日だった。

2月13日の日記

2020年2月13日 日常
2月13日の日記
2月13日の日記
2月13日の日記
暖かい…。これで春が来るわけではないのね。
新型コロナウイルスのニュースばかり。
1~3月はいつも憂鬱だ。
今年はすでにきつい。1日中歩き回って、食事にありつけたのは23時55分…。疲れすぎて帰ってもテキパキ動けない。
バテてる場合じゃないんだけどなあー。バテてしまったことに自己嫌悪。やっとの思いでシャツを洗った。ウタマロ石鹸で襟袖をこすって真っ白にしたのは達成感あった。(笑)

2月12日の日記

2020年2月12日 日常
Diarynoteサービスがきちんと続いていることにちょっと感動している。前のアカウントは大学学部1年のときに始めたんだった。
戻ってきました。しばらくツイッターにいましたが、やはりこちらの方が私の性に合っています。

8月30日の日記

2015年8月30日 日常
昨日は会社に泊まった。今日はたまった仕事をやろうと思ったが、どうにも体が動かない。

上司は、仕事より人生が大事と言うが、
仕事以外の時間が今の人生にはほとんどない。

家に帰ると、お風呂に入って寝るだけ。
休日は、仕事に着ていく服を洗濯したり、アイロンをかけたりするほか、
たまった仕事を片付けるのみ。
そうしないと、どうにも回らないから。

この前、とうとう上司に「辞めることを考えている」という話をしてしまった。
上司は「考え直せ」と言った。

でもこの先、今の生活のままでは身体がもたないように思う。
辞めて何をするかも分からないし、生活していけるのかは不安だけれども。


6月28日の日記

2015年6月28日 日常
仕事がもう限界に来つつあると思うけど、どうすればいいか全く分からない。

これ以上やってるともう死ぬ、死ぬと思いながら、首の皮一枚でつながっているような感じだ。

今日は暑い日のはずだったのに、体はやたら寒かった。






5月27日の日記

2015年5月27日 日常
成長には痛みが伴う

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