五匹の子豚 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
2007年9月21日 読書
ブックオフ100円読書。
マザー・グースの五匹の子豚の歌は無理矢理入れた感があるものの、誰が犯人なのか面白く読めた。
「カリブ海の秘密」と合わせて一気に読みました。
「五匹の子豚」の方が面白かったです。
何でもない田舎を引っ掻き回す大事件、犯人は一人かもしれないが、事件の関係者(巻き込まれた人たち)が非常に様々な表情を見せてくれるので飽きません。一人ひとりの心理が良く分かる丁寧な描写です。
マザー・グースの五匹の子豚の歌は無理矢理入れた感があるものの、誰が犯人なのか面白く読めた。
「カリブ海の秘密」と合わせて一気に読みました。
「五匹の子豚」の方が面白かったです。
何でもない田舎を引っ掻き回す大事件、犯人は一人かもしれないが、事件の関係者(巻き込まれた人たち)が非常に様々な表情を見せてくれるので飽きません。一人ひとりの心理が良く分かる丁寧な描写です。
ISBN:4167652056 文庫 乃南 アサ 文藝春秋 2003/11 ¥560
久しぶりのブックレビュー。
この作家の話では、心理描写を通した(特に女性の)本性にどきっとさせられることが多い。
この話も、そんな話の一つでした。
小学校時代の仲良し3人娘が約10年ぶりに再会する。
23歳の今は、全員OL。
3人にはそれぞれ、ちょっと普通ではない性質がある。
スケジュール帳がびっしり埋まっていないと不安な亜理子、
あからさまな虚言癖のある恵美、
何度も手を洗いに行かないと気のすまない梨紗。
3人が小学生のころ、1人のクラスメイトがある日突然失踪する。
彼は男子からイジメを受けており、亜理子ら3人は共同で彼を救おうとしていた。
3人とも彼が好きだったから・・・。
そして、ある約束を交わす。
それを彼女たちはずっと守り続けてきた。
だが、恵美の呼びかけで再び顔を合わせることによって、また過去が引っ張り出され、甦って来る。
・・・
というのがネタバレを避けた紹介になるでしょうか。
夜読み始めたら止まらなくなり、結局一気読みに。
一見普通なような、かつての「少女」たちに、実は狂気が隠されている。その狂気は実に何気なく描写されていて、注意深く読まないとはっきりと分からない。
ラストは物語によくある手法なものの、ひっそりとした怖さを感じさせる。過去が彼女たちを捉えて離さないのか、それとも逆に彼女らの方が(無意識に)しがみついているのか。
彼女たちの狂気を薄めて分かりづらくしたようなものは、結構どの女性の心にもありそうで、怖くなった。
大人になったから打算、嫉妬、値踏み、そんなものが生まれてくるわけでは無く、少女たちの心にも存在する。
「親友」という目に見えない絆で真綿のように締め付け、心では何を考えているのか。
結託が強いために、欲しいものは誰のものにもできない。
それは「ずる」になるからだ。
表面だけを見れば、事件は100字以内で説明できる。
しかし、最後まで本当だったのか分からないこともある。
本気で信じていたからなのか、
それとも無意識的にせよ、それが3人に都合の良い解決策だったからなのか。
読後すぐにはもっと色々考えていたはずなのに、一晩寝たら忘れてしまいました。
現在の話に、過去が時々フラッシュバックのように入り混じる構成になっています。
3人のうち、恵美と梨紗の癖については事件との関連があったのに、亜理子のだけ?です。
もしかしたら書いてあったのに気づかなかったのか?
久しぶりのブックレビュー。
この作家の話では、心理描写を通した(特に女性の)本性にどきっとさせられることが多い。
この話も、そんな話の一つでした。
小学校時代の仲良し3人娘が約10年ぶりに再会する。
23歳の今は、全員OL。
3人にはそれぞれ、ちょっと普通ではない性質がある。
スケジュール帳がびっしり埋まっていないと不安な亜理子、
あからさまな虚言癖のある恵美、
何度も手を洗いに行かないと気のすまない梨紗。
3人が小学生のころ、1人のクラスメイトがある日突然失踪する。
彼は男子からイジメを受けており、亜理子ら3人は共同で彼を救おうとしていた。
3人とも彼が好きだったから・・・。
そして、ある約束を交わす。
それを彼女たちはずっと守り続けてきた。
だが、恵美の呼びかけで再び顔を合わせることによって、また過去が引っ張り出され、甦って来る。
・・・
というのがネタバレを避けた紹介になるでしょうか。
夜読み始めたら止まらなくなり、結局一気読みに。
一見普通なような、かつての「少女」たちに、実は狂気が隠されている。その狂気は実に何気なく描写されていて、注意深く読まないとはっきりと分からない。
ラストは物語によくある手法なものの、ひっそりとした怖さを感じさせる。過去が彼女たちを捉えて離さないのか、それとも逆に彼女らの方が(無意識に)しがみついているのか。
彼女たちの狂気を薄めて分かりづらくしたようなものは、結構どの女性の心にもありそうで、怖くなった。
大人になったから打算、嫉妬、値踏み、そんなものが生まれてくるわけでは無く、少女たちの心にも存在する。
「親友」という目に見えない絆で真綿のように締め付け、心では何を考えているのか。
結託が強いために、欲しいものは誰のものにもできない。
それは「ずる」になるからだ。
表面だけを見れば、事件は100字以内で説明できる。
しかし、最後まで本当だったのか分からないこともある。
本気で信じていたからなのか、
それとも無意識的にせよ、それが3人に都合の良い解決策だったからなのか。
読後すぐにはもっと色々考えていたはずなのに、一晩寝たら忘れてしまいました。
現在の話に、過去が時々フラッシュバックのように入り混じる構成になっています。
3人のうち、恵美と梨紗の癖については事件との関連があったのに、亜理子のだけ?です。
もしかしたら書いてあったのに気づかなかったのか?
ISBN:4122046432 文庫 阿部 知二 中央公論新社 2006/02 ¥1,500
(最初にアップしたレビューを、若干書き直しました)
言わずと知れた、Austenの作品。
Pride and Prejudiceは何度も読んで非常に面白いと思ったので期待して読んだ。
以下、若干のネタバレあり。
Jane Austenにはよくあるように、舞台はイングランドの片田舎。
20代前半のエマは田舎の裕福な家庭で生まれ育った。他人の恋愛の世話を焼くのが好きである。
一方、エマ自身の恋については、自分で「結婚しない」と決めている。
ただ他人の恋愛の取り持ち役として、人をチェスの駒のように動かそうとするのである。
彼女は自分自身の世の中の見方を時に人に押し付けて振り回し、時にそれを厳しく指摘されて反省する。
そして、至る所で伏線はあったものの、なかなか分からない自分の本心に気づいていく。
・・・といった感じで進行する物語だが、ストーリー自体はあまり面白く思えなかった。寧ろエマの勘違いにイラつくことの方が多かったとも言える。
エマは友人ハリエットに求婚した誠実な農夫を、身分が低い野卑な農民であると決めつけ、ハリエットに「人を身分で判断すること」を吹き込む。その先にある人間性は、エマが最初から悪いフィルターを掛けてみているため、悉く品の無いものとされてしまう。
一言で言えば、得手勝手だ。頭の回転は速いのかもしれないけれど。
そうして、イライラしながらエマの間違っている点を思い浮かべると、それはそっくりそのまま自分に通じるところがあるのでぎょっとさせられる。
隠れた自己中心性、得てして人を身分や見た目で判断する、自分が正しいと思い込む、見えているようで実は周りが見えていない、飽きっぽい―
客観的に見れば自分自身がまたイライラする存在だということに改めて気付かされ、私は自分の悪いところを大いに反省した。
ストーリーの面白さではPride and Prejudiceに劣る気がしたが、それでもやはり古典的傑作は傑作である、と思わされた作品だった。また後になって読み返したら、評価が変わるかもしれない。
原書と翻訳を比べると、昔の社会に根ざした言葉遣いが分かって面白かった。
彼女の作品は、狭い田舎を舞台としていながら、その中の人々の動きと変化によって生き生きとした風景を見せてくれる。
面白い話を書こうとするとどうしても設定を変化に富むものにしなければならない、といった事になりがちであるが、その点でもAustenはすばらしいと思う。
*レビューとは関係ないが、
高慢と偏見、自負と偏見、どちらの訳も自分にはしっくり来ないので、Pride and Prejudiceと呼んでいる。
訳がないといえば、
associationという言葉をテクニカルタームで用いる場合
(例えばplantとmicroorganismのassociation)、
辞書ではまずしっくり来る言葉が無いので、いつも単に「アソシエーション」と呼んでしまう。
皆ほとんど英語交じりの表現で議論するので別に不便は無いけれど、言語は一対一対応じゃないんだなあと実感する。
(最初にアップしたレビューを、若干書き直しました)
言わずと知れた、Austenの作品。
Pride and Prejudiceは何度も読んで非常に面白いと思ったので期待して読んだ。
以下、若干のネタバレあり。
Jane Austenにはよくあるように、舞台はイングランドの片田舎。
20代前半のエマは田舎の裕福な家庭で生まれ育った。他人の恋愛の世話を焼くのが好きである。
一方、エマ自身の恋については、自分で「結婚しない」と決めている。
ただ他人の恋愛の取り持ち役として、人をチェスの駒のように動かそうとするのである。
彼女は自分自身の世の中の見方を時に人に押し付けて振り回し、時にそれを厳しく指摘されて反省する。
そして、至る所で伏線はあったものの、なかなか分からない自分の本心に気づいていく。
・・・といった感じで進行する物語だが、ストーリー自体はあまり面白く思えなかった。寧ろエマの勘違いにイラつくことの方が多かったとも言える。
エマは友人ハリエットに求婚した誠実な農夫を、身分が低い野卑な農民であると決めつけ、ハリエットに「人を身分で判断すること」を吹き込む。その先にある人間性は、エマが最初から悪いフィルターを掛けてみているため、悉く品の無いものとされてしまう。
一言で言えば、得手勝手だ。頭の回転は速いのかもしれないけれど。
そうして、イライラしながらエマの間違っている点を思い浮かべると、それはそっくりそのまま自分に通じるところがあるのでぎょっとさせられる。
隠れた自己中心性、得てして人を身分や見た目で判断する、自分が正しいと思い込む、見えているようで実は周りが見えていない、飽きっぽい―
客観的に見れば自分自身がまたイライラする存在だということに改めて気付かされ、私は自分の悪いところを大いに反省した。
ストーリーの面白さではPride and Prejudiceに劣る気がしたが、それでもやはり古典的傑作は傑作である、と思わされた作品だった。また後になって読み返したら、評価が変わるかもしれない。
原書と翻訳を比べると、昔の社会に根ざした言葉遣いが分かって面白かった。
彼女の作品は、狭い田舎を舞台としていながら、その中の人々の動きと変化によって生き生きとした風景を見せてくれる。
面白い話を書こうとするとどうしても設定を変化に富むものにしなければならない、といった事になりがちであるが、その点でもAustenはすばらしいと思う。
*レビューとは関係ないが、
高慢と偏見、自負と偏見、どちらの訳も自分にはしっくり来ないので、Pride and Prejudiceと呼んでいる。
訳がないといえば、
associationという言葉をテクニカルタームで用いる場合
(例えばplantとmicroorganismのassociation)、
辞書ではまずしっくり来る言葉が無いので、いつも単に「アソシエーション」と呼んでしまう。
皆ほとんど英語交じりの表現で議論するので別に不便は無いけれど、言語は一対一対応じゃないんだなあと実感する。
ISBN:4062123320 単行本 恩田 陸 講談社 ¥1,785
一昨日読了。
最近恩田陸の本を読んでいる。
自分にとってのブームのようなもので、過去にも宮部みゆきばかり、村上春樹、乃南アサばかり、というような現代作家ブームがあった。
といっても、現代作家を読み出したのは大学からで、高校までの私は古典ばかり読んでいた。軽い物は『風とともに去りぬ』くらいかも知れない。
恩田陸の話は、ミステリと、ホラーの風味と、恋愛と、打算、心理劇、そんな要素が混交していると言える。
冒頭には情報が少なく、しかし思わせぶりに何かを匂わせるような文章が続く。
高校生の理瀬は、イギリスから単身日本に帰国する。
そうして、私立高校に編入し、幼少のころ自分が育てられた亡き祖母の家「白百合荘」で、血のつながっていない二人のおばとともに生活を始める。
その祖母の死は、不慮の事故とされていたが、理瀬はおばに疑いを抱いている。
そして、祖母が隠していた「ジュピター」なるものの探り合いが、理瀬の二人の兄、そして友人も交え、新たな事件へとつながっていく。お互い、相手の心を読もう、読まれまいとする内面の動きが、場面を替え、ときには外面しか表現されずに描かれる。
私は最後まで二人のおばのうち、姉の方が怖かった。
恩田陸の描く少女は大抵魅力的である。
これが内面の老成から来るものだけで、外見の素晴らしさがミックスされていなかったとしたら、理瀬の魅力は半減するのだろうか。
途中までの話は結構面白かったのに、こういう感想を抱くあたり、私は相当天邪鬼なのだろう。
ちなみに、「理瀬=高校生」の言葉遊びみたいな感じは好きだけれど、
女子だからリセじゃないよなあと思ったりした。
一昨日読了。
最近恩田陸の本を読んでいる。
自分にとってのブームのようなもので、過去にも宮部みゆきばかり、村上春樹、乃南アサばかり、というような現代作家ブームがあった。
といっても、現代作家を読み出したのは大学からで、高校までの私は古典ばかり読んでいた。軽い物は『風とともに去りぬ』くらいかも知れない。
恩田陸の話は、ミステリと、ホラーの風味と、恋愛と、打算、心理劇、そんな要素が混交していると言える。
冒頭には情報が少なく、しかし思わせぶりに何かを匂わせるような文章が続く。
高校生の理瀬は、イギリスから単身日本に帰国する。
そうして、私立高校に編入し、幼少のころ自分が育てられた亡き祖母の家「白百合荘」で、血のつながっていない二人のおばとともに生活を始める。
その祖母の死は、不慮の事故とされていたが、理瀬はおばに疑いを抱いている。
そして、祖母が隠していた「ジュピター」なるものの探り合いが、理瀬の二人の兄、そして友人も交え、新たな事件へとつながっていく。お互い、相手の心を読もう、読まれまいとする内面の動きが、場面を替え、ときには外面しか表現されずに描かれる。
私は最後まで二人のおばのうち、姉の方が怖かった。
恩田陸の描く少女は大抵魅力的である。
これが内面の老成から来るものだけで、外見の素晴らしさがミックスされていなかったとしたら、理瀬の魅力は半減するのだろうか。
途中までの話は結構面白かったのに、こういう感想を抱くあたり、私は相当天邪鬼なのだろう。
ちなみに、「理瀬=高校生」の言葉遊びみたいな感じは好きだけれど、
女子だからリセじゃないよなあと思ったりした。
チョコレートコスモス
2007年1月10日 読書
ISBN:462010700X 単行本 恩田 陸 毎日新聞社 ¥1,680
本日読了。
佐々木飛鳥という演技の天才を周囲の人間が見出して行く過程が描き出されている。
彼女は空手の経験があり、「型」に裏打ちされた見事な動きと、役に同一化する技術は、大学の演劇サークルの部員、舞台オーディションのスタッフ、オーディションの共演者らをあっと言わせる。
佐々木飛鳥には自分が見られているという意識が無い。それは彼女が「見て」はいないからである。
その「見ていない」ことと、過去の空手の経験とのつながり、それが段々分かってくる。
一人の人物をめぐる周囲の人物の心を描く。
面白いのだが、何となく物足りなさが残ってしまった。
佐々木飛鳥の、「演技の天才」としての存在が確定的すぎるせいかもしれない。
だから、読んでいて、どこか「やっぱりそうか」という、ある種定番のような感じを受けてしまう。
大学サークルの存在は、完全にどこかへいってしまう。
『欲望と言う名の電車』の下りは良かった。
もう一度読んだら、印象の違う話になっているかも知れない。
本日読了。
佐々木飛鳥という演技の天才を周囲の人間が見出して行く過程が描き出されている。
彼女は空手の経験があり、「型」に裏打ちされた見事な動きと、役に同一化する技術は、大学の演劇サークルの部員、舞台オーディションのスタッフ、オーディションの共演者らをあっと言わせる。
佐々木飛鳥には自分が見られているという意識が無い。それは彼女が「見て」はいないからである。
その「見ていない」ことと、過去の空手の経験とのつながり、それが段々分かってくる。
一人の人物をめぐる周囲の人物の心を描く。
面白いのだが、何となく物足りなさが残ってしまった。
佐々木飛鳥の、「演技の天才」としての存在が確定的すぎるせいかもしれない。
だから、読んでいて、どこか「やっぱりそうか」という、ある種定番のような感じを受けてしまう。
大学サークルの存在は、完全にどこかへいってしまう。
『欲望と言う名の電車』の下りは良かった。
もう一度読んだら、印象の違う話になっているかも知れない。
ISBN:4167679302 文庫 長野 まゆみ 文藝春秋 ¥700
文庫本ではなく、白泉社版の単行本が、Book Offで100円だったので買ってしまった。ほぼ新品だった。
嫌いながらも好き、という作家が自分の中にあって、長野まゆみはそのうちの一人だと思う。
最初に読んだのは中学の時か高校か。
少年アリスという話だった。
敢えてその感想は書かないが、長野まゆみの作品には主に少年が登場する。逆に少女や女は殆ど出てこないか、たまに現れるのみ(『八月六日上々天気』など)である。
この鉱石倶楽部も少年たちと鉱石の物語である。
全体からは、宮沢賢治の作品へのオマージュというか、その強い影響が感じられる(そういえば、『賢治先生』という本も書いている:宮沢賢治の物語には鉱石が沢山出てくる、彼自身人造宝石商になりたかったそうだ)。
幻想的なお話の間に、美しい鉱石の写真が図鑑のように紹介されているので、好きな人は見ているだけで楽しいと思うかも知れないし、逆にこの量では物足りない、と感じるかも知れない。
何故嫌いながらも好きかというと、
それはあまりにも物語世界に対して意図的過ぎる、
というか「雰囲気を作っている」感じがするからである。
出てくるモチーフ一つひとつが、ある完全な世界の構成ピースとしてまた完全である、という様子が多分気に食わないのだろう。
たまにいらいらすることもある。こんなの、ありえない。
ありえない世界なんて物語なのだから当然なのだが、何故こういう気分になるのか。
色白で美しい顔立ち、洒落た服装、猫、少し毒のあるしゃべり方、考え方でさえも美点になってしまい、決して美的世界を崩していない嘘くささ。
もっとも、それは一方で自分がそういう世界に憧れ、しかもそこには決して届かないことに対する妬みの情なのかも知れず、
その証拠にこうして見つけたら購入し、熱心に読むことには変わりがない。
だから、この本の美しい写真や、清潔な少年たちの話は多分好きである。
長野まゆみは古い仮名遣いや漢字を好んで作品に使っているので、言葉の雰囲気も綺麗だと思う。
ちょっと浮世離れしており、綺麗過ぎるイメージを持たせるけれど、本とは現実とかけはなれているからこそ楽しいものである場合が多い。
他に、クリスティー1冊と倉橋由美子『大人のための残酷童話』を購入。
メモ
How much easier it is to be critical than to be correct.
- Benjamin Disraeli
文庫本ではなく、白泉社版の単行本が、Book Offで100円だったので買ってしまった。ほぼ新品だった。
嫌いながらも好き、という作家が自分の中にあって、長野まゆみはそのうちの一人だと思う。
最初に読んだのは中学の時か高校か。
少年アリスという話だった。
敢えてその感想は書かないが、長野まゆみの作品には主に少年が登場する。逆に少女や女は殆ど出てこないか、たまに現れるのみ(『八月六日上々天気』など)である。
この鉱石倶楽部も少年たちと鉱石の物語である。
全体からは、宮沢賢治の作品へのオマージュというか、その強い影響が感じられる(そういえば、『賢治先生』という本も書いている:宮沢賢治の物語には鉱石が沢山出てくる、彼自身人造宝石商になりたかったそうだ)。
幻想的なお話の間に、美しい鉱石の写真が図鑑のように紹介されているので、好きな人は見ているだけで楽しいと思うかも知れないし、逆にこの量では物足りない、と感じるかも知れない。
何故嫌いながらも好きかというと、
それはあまりにも物語世界に対して意図的過ぎる、
というか「雰囲気を作っている」感じがするからである。
出てくるモチーフ一つひとつが、ある完全な世界の構成ピースとしてまた完全である、という様子が多分気に食わないのだろう。
たまにいらいらすることもある。こんなの、ありえない。
ありえない世界なんて物語なのだから当然なのだが、何故こういう気分になるのか。
色白で美しい顔立ち、洒落た服装、猫、少し毒のあるしゃべり方、考え方でさえも美点になってしまい、決して美的世界を崩していない嘘くささ。
もっとも、それは一方で自分がそういう世界に憧れ、しかもそこには決して届かないことに対する妬みの情なのかも知れず、
その証拠にこうして見つけたら購入し、熱心に読むことには変わりがない。
だから、この本の美しい写真や、清潔な少年たちの話は多分好きである。
長野まゆみは古い仮名遣いや漢字を好んで作品に使っているので、言葉の雰囲気も綺麗だと思う。
ちょっと浮世離れしており、綺麗過ぎるイメージを持たせるけれど、本とは現実とかけはなれているからこそ楽しいものである場合が多い。
他に、クリスティー1冊と倉橋由美子『大人のための残酷童話』を購入。
メモ
How much easier it is to be critical than to be correct.
- Benjamin Disraeli
ISBN:4826219083 単行本 神保 光太郎 白凰社 ¥945
三好達治
甃のうへ
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ
---------
この詩の前半は、華やかな鮮やかな若い女性たちの姿を描いている。
その姿と、花びらの華が重なってイメージされる。
人生の春。
彼女たちには暗い影はない。
明るい、鮮やかな色彩が目に浮かぶようだ。
しかし後半ではそれを眺める「我」の存在が現れる。
翳り無き春によって、「しづか」で、「独りなる」わが身がより一層強く意識される。
そして、賑やかな、華やかな若さが周囲に溢れる中で、私も「しづかに」独り。
心の中は荒れていて平静ではないが、
それは独りの感情であり、賑々しさと同一ではない。
この諦めにも似た乖離の感覚を、一体どう処理すればいいのか、自分自身分からないでいる。
諦めないと豪語していた自分だった筈なのに…?
情けなさを通り越して疲労感と、虚脱感が残る。
Ahare Hanabira Nagare
Ominago ni Hanabira Nagare
Ominago simeyaka ni Katarai Ayumi
Uraraka no Ashioto Sora ni Nagare
Kagerinaki Mitera no Haru wo Sugiyukunari
…
こうしてローマ字に書き出すと、この詩の持つ不思議なリズムが、決して偶然では無いということに気づかされる。
美しい韻を踏んでいる。
三好達治
甃のうへ
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ
---------
この詩の前半は、華やかな鮮やかな若い女性たちの姿を描いている。
その姿と、花びらの華が重なってイメージされる。
人生の春。
彼女たちには暗い影はない。
明るい、鮮やかな色彩が目に浮かぶようだ。
しかし後半ではそれを眺める「我」の存在が現れる。
翳り無き春によって、「しづか」で、「独りなる」わが身がより一層強く意識される。
そして、賑やかな、華やかな若さが周囲に溢れる中で、私も「しづかに」独り。
心の中は荒れていて平静ではないが、
それは独りの感情であり、賑々しさと同一ではない。
この諦めにも似た乖離の感覚を、一体どう処理すればいいのか、自分自身分からないでいる。
諦めないと豪語していた自分だった筈なのに…?
情けなさを通り越して疲労感と、虚脱感が残る。
Ahare Hanabira Nagare
Ominago ni Hanabira Nagare
Ominago simeyaka ni Katarai Ayumi
Uraraka no Ashioto Sora ni Nagare
Kagerinaki Mitera no Haru wo Sugiyukunari
…
こうしてローマ字に書き出すと、この詩の持つ不思議なリズムが、決して偶然では無いということに気づかされる。
美しい韻を踏んでいる。