■自己愛と自己嫌悪
2006年9月10日いつもいつも自分から離れないのは、「自分なんてダメだ」という気持ち。その一方で、9月6日に書いたような「自己愛」も併せ持っているわけですが。
私はいつも「ここではないどこか良い場所」に行きたがっている。そこに行けば、状況が良くなるんじゃないかと、甘えた考えを持ち、現状をきちんと見据えて真っ直ぐに努力をしない。自分に甘いのも、自己愛の一種なのかもしれない。
そして、エントロピーに自分の悪い部分を重ね合わせて考えている。正確には、悪い部分によってもたらされる破滅的な状態=エントロピーと言った方がいいのか?
とにかくこれは、エネルギーを用いて戦っていかなければならないことなんだ、そして、戦うのをやめたら私は崩壊へと向かってしまうんだ。
エントロピーとの戦いには、勝てるときもあるが、最近は負けていることの方が多い。負けてしまうのはすなわち、甘えによって、エネルギーを出す働きが鈍らされているからだろう。
その甘えが生み出す考えなのかどうか分からないのだが、自分の欠陥が埋められて自信の持てる自分になれれば、全ては良くなるだろうに、と思ってしまう。
その考えはまたダイエットにつながり、再度「甘え」に負けた時点でまたエントロピーの増大へと繋がっていく。
今は「また痩せたい」と強く願い、「痩せさえすれば物事が前よりうまく行くだろう」と思う自分がいる。
但し、危険なほど痩せていた時代にも、やっぱり嘔吐はしていて、「もっと痩せれば・・・」と考えていた。
こうして考えているときの私は、現在の自分を激しく嫌いながら、一方で過去・現在・未来を包含した存在である「自分」は愛し、「未来の自分」にあてのない期待をする。自分を愛しているからプラスの自分を夢見る、というのが正しいのか、それともそれは自分を愛したいからなのかは、実際のところ良く分からない。
今の自分にあるものを憎んで、自分が持たないものばかりを求めている。人の持っている幸せを羨んで、自分自身を嫌う。
永久に満たされることが無いのかもしれない。
つまり、「今の自分」に必ず欠陥欠如があることを感じ、「ここではないどこか」の状況を希求しているのだ。そして甘え心によって一向に進歩も行動も見られない。
もっと恥ずかしいことに、自分に自信が無い、というのも、「自己愛と自己嫌悪」同様、実は自分に「自信がある」ことを物語ってはいやしないか(私の場合)。
自己、そして、自分自身の教養について自信を持っているのに自信が無い、と語ることは、嫌味な自慢そのものである。
ただはっきりしているのは、エントロピーに完敗してはならないこと、そして耐え難い自意識の過剰が自分の中にあること。
私はいつも「ここではないどこか良い場所」に行きたがっている。そこに行けば、状況が良くなるんじゃないかと、甘えた考えを持ち、現状をきちんと見据えて真っ直ぐに努力をしない。自分に甘いのも、自己愛の一種なのかもしれない。
そして、エントロピーに自分の悪い部分を重ね合わせて考えている。正確には、悪い部分によってもたらされる破滅的な状態=エントロピーと言った方がいいのか?
とにかくこれは、エネルギーを用いて戦っていかなければならないことなんだ、そして、戦うのをやめたら私は崩壊へと向かってしまうんだ。
エントロピーとの戦いには、勝てるときもあるが、最近は負けていることの方が多い。負けてしまうのはすなわち、甘えによって、エネルギーを出す働きが鈍らされているからだろう。
その甘えが生み出す考えなのかどうか分からないのだが、自分の欠陥が埋められて自信の持てる自分になれれば、全ては良くなるだろうに、と思ってしまう。
その考えはまたダイエットにつながり、再度「甘え」に負けた時点でまたエントロピーの増大へと繋がっていく。
今は「また痩せたい」と強く願い、「痩せさえすれば物事が前よりうまく行くだろう」と思う自分がいる。
但し、危険なほど痩せていた時代にも、やっぱり嘔吐はしていて、「もっと痩せれば・・・」と考えていた。
こうして考えているときの私は、現在の自分を激しく嫌いながら、一方で過去・現在・未来を包含した存在である「自分」は愛し、「未来の自分」にあてのない期待をする。自分を愛しているからプラスの自分を夢見る、というのが正しいのか、それともそれは自分を愛したいからなのかは、実際のところ良く分からない。
今の自分にあるものを憎んで、自分が持たないものばかりを求めている。人の持っている幸せを羨んで、自分自身を嫌う。
永久に満たされることが無いのかもしれない。
つまり、「今の自分」に必ず欠陥欠如があることを感じ、「ここではないどこか」の状況を希求しているのだ。そして甘え心によって一向に進歩も行動も見られない。
もっと恥ずかしいことに、自分に自信が無い、というのも、「自己愛と自己嫌悪」同様、実は自分に「自信がある」ことを物語ってはいやしないか(私の場合)。
自己、そして、自分自身の教養について自信を持っているのに自信が無い、と語ることは、嫌味な自慢そのものである。
ただはっきりしているのは、エントロピーに完敗してはならないこと、そして耐え難い自意識の過剰が自分の中にあること。
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