信じる信じない
2006年9月13日Doubt is not a pleasant condition, but certainty is absurd.
- Voltaire
「信じる」という言葉は、サイエンスにおいてご法度だろう。
だから、論文には、いついかなるときも、第三者によって検証可能であることが求められる。
そして、少しでも穴があると、即ライバルから叩かれてしまう。
それは、「何事も決して信じない」の精神の上に立っていて、それがあるからこそ、サイエンスは発展したと言って良いだろう。
しかし、「信じる者は救われる」の言葉通り、何かを信じることは幸福に繫がるのかも知れない。
昨日読んだ瀬名秀明のエッセーには、ドーキンスの言葉が引用されていた。
進化を知ることで、人々は「成長と幸福」を手に入れた。
人間以外の生物は、この世界のサイエンティフィックな仕組みを知ることは無い。だから、人間のみがその仕組みに逆らって行動することができる。
逆に、「信じる」ことについては、
判断力の無い子供のころに環境等から押し付けられたことが原因ではないか、と、ドーキンスは述べる。
「信じる」ことでもたらされる「幸福」は、「平和(平安?)と幸福」である。
「成長と幸福」が欲しかったし、欲しいと思う。
一方で、「平和と幸福」は、楽だろうなと思う。でも、楽になっちゃいけないような気がする。
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