■寒さの冬
2006年10月31日この厄介な
「病なのか何か分からぬもの−摂食障害、Eating Disorder, ED」
に悩まされるようにになってから、冬は私の苦手な季節だ。
苦手な点は寒さだけである。
冬の良いところ
冬の空気の澄んだ星空、
TVCMでよくあるような、食卓でシチューを囲んだ家族のあたたかな光景(のイメージ)、
カシミヤのストールの肌触りの良さ、冬服の温かみのある手触りと柄、
タータンチェックのウールの膝掛け、ラクダの毛のセーター、
ホットココアのイメージ、
クリスマスの近づくわくわくした気分、お正月、
そういった冬の風物は好き。
だけど、寒い。寒い状況、場所に身をおいている、もしくは進んでそうしているために、冬の寒さがものすごくこたえる。
全て自分のせいだ。
どういうことかというと、
物を食べない→燃料が無い→寒い
当たり前だが、食べないと寒い。
食べたとしてもvomitしている。
するまいと我慢するのだが、それを上回る強い衝動に駆られて、自分でも本当にどうにも出来ない。
(不快になる方がいらっしゃるかもしれませんが、vomitの意味→http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=vomit&;;;;;;;;;;
嫌な気分になったらすみません・・・直接日本語で書くよりはいいかな、と思って敢えて英語にしました。)
vomitしたあとは、もっと寒い。
なぜなら、脳は「食べ物が入ってきた」と認識しているのに、それを覆されるから。
体が、養分が入ってきた、消化できる、エネルギーを使えると感じたのに、実は何も無い。
血糖値が急激に下がってしまう。
そうなると、もう爪や唇は紫色、歩くと体ががくがくし、震えが止まらない。
夏でもこの症状は同じなのだが、外気温が低いと余計辛いのは当たり前である。
去年は辛かった。
今年の冬は暖冬になると予想が出ているが、実際どうだろう。
去年も確か、「暖冬になる」と予想されていたくせに、記録的な寒さだったし・・・。
vomitした後の惨めな自分は体も寒いが、心がもっと寒い。
冬は、その寒さを増幅させるような気がする。
シチューのCMなんて、もう私には入っていけない幸せに見える。
言い方が大袈裟だけれど、マッチ売りの少女になって、外から人の幸せを見ているような感じ。
自分からマッチ売りの少女になったんじゃん。
ばーか。
そうして、家族の団欒という宝物が永遠ではないことにも気付かず、私は家族と食事を摂れないまま、お父さんは病院で死んでしまった。
バチがあたったんだ。
何をしたら償えるだろう。
お父さんが死んだ朝、私は遠いところでやっぱりvomitしていたのである。
そうして、電話で父の死を知ったのだ。
シチューの幸せは、もう一生かえってはこない。
このことを思うときの感情は、ちょっと言い表せない。
私は最低な人間だ。
特に最近、
心の中で自分に「ばーかばーか」とか、唐突にばかばか言うことが増えた。
今までのこと、恥を思い出したり、自分のやってることを思ったりしてそうやって自分で罵っているが、何も進展せず。
大学から今まででは、今が一番辛いかもしれない。
とここまで書いておいて、
「今が辛いから何?アンタ同情でもしてもらいたいわけ?ばーか」、という声がまた自分の中からする。
自分で自分にものすごくイライラする。
テメェさっさとやめろよ。
自分の中にものすごく汚い物や言葉が渦巻いていて、
こんな自分は隠しておかなければ、皆に嫌われてしまうと思う。
ああああ、怖い。
また嫌なことばっかり書いていることに気付いた。
こんなことは日記帳に書けばいいのかもしれないが、どこかの誰かに私の思ったことを知ってもらえる可能性がある、と思って書くのと、自分自身しか見ない日記帳では、書く力が違うような気がする。
要するに、私は誰かに打ち明け話をするのが好きなんだろう。
誰にするともない、人生相談?というよりは打ち明け話。
・・・。
客観的に見たら、ただの痛い話じゃねーか、ばーか。
ああ、もう本当に・・・。痛いって言葉、便利だな。まさに私じゃん。
何だか、冬の話から大分それてしまった。
気分があっちこっち飛ぶ、色んな自分、汚い自分が入れ替わり立ち替わり現れる、それに任せて打ち込んでいるからに違いない。
「病なのか何か分からぬもの−摂食障害、Eating Disorder, ED」
に悩まされるようにになってから、冬は私の苦手な季節だ。
苦手な点は寒さだけである。
冬の良いところ
冬の空気の澄んだ星空、
TVCMでよくあるような、食卓でシチューを囲んだ家族のあたたかな光景(のイメージ)、
カシミヤのストールの肌触りの良さ、冬服の温かみのある手触りと柄、
タータンチェックのウールの膝掛け、ラクダの毛のセーター、
ホットココアのイメージ、
クリスマスの近づくわくわくした気分、お正月、
そういった冬の風物は好き。
だけど、寒い。寒い状況、場所に身をおいている、もしくは進んでそうしているために、冬の寒さがものすごくこたえる。
全て自分のせいだ。
どういうことかというと、
物を食べない→燃料が無い→寒い
当たり前だが、食べないと寒い。
食べたとしてもvomitしている。
するまいと我慢するのだが、それを上回る強い衝動に駆られて、自分でも本当にどうにも出来ない。
(不快になる方がいらっしゃるかもしれませんが、vomitの意味→http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=vomit&;;;;;;;;;;
嫌な気分になったらすみません・・・直接日本語で書くよりはいいかな、と思って敢えて英語にしました。)
vomitしたあとは、もっと寒い。
なぜなら、脳は「食べ物が入ってきた」と認識しているのに、それを覆されるから。
体が、養分が入ってきた、消化できる、エネルギーを使えると感じたのに、実は何も無い。
血糖値が急激に下がってしまう。
そうなると、もう爪や唇は紫色、歩くと体ががくがくし、震えが止まらない。
夏でもこの症状は同じなのだが、外気温が低いと余計辛いのは当たり前である。
去年は辛かった。
今年の冬は暖冬になると予想が出ているが、実際どうだろう。
去年も確か、「暖冬になる」と予想されていたくせに、記録的な寒さだったし・・・。
vomitした後の惨めな自分は体も寒いが、心がもっと寒い。
冬は、その寒さを増幅させるような気がする。
シチューのCMなんて、もう私には入っていけない幸せに見える。
言い方が大袈裟だけれど、マッチ売りの少女になって、外から人の幸せを見ているような感じ。
自分からマッチ売りの少女になったんじゃん。
ばーか。
そうして、家族の団欒という宝物が永遠ではないことにも気付かず、私は家族と食事を摂れないまま、お父さんは病院で死んでしまった。
バチがあたったんだ。
何をしたら償えるだろう。
お父さんが死んだ朝、私は遠いところでやっぱりvomitしていたのである。
そうして、電話で父の死を知ったのだ。
シチューの幸せは、もう一生かえってはこない。
このことを思うときの感情は、ちょっと言い表せない。
私は最低な人間だ。
特に最近、
心の中で自分に「ばーかばーか」とか、唐突にばかばか言うことが増えた。
今までのこと、恥を思い出したり、自分のやってることを思ったりしてそうやって自分で罵っているが、何も進展せず。
大学から今まででは、今が一番辛いかもしれない。
とここまで書いておいて、
「今が辛いから何?アンタ同情でもしてもらいたいわけ?ばーか」、という声がまた自分の中からする。
自分で自分にものすごくイライラする。
テメェさっさとやめろよ。
自分の中にものすごく汚い物や言葉が渦巻いていて、
こんな自分は隠しておかなければ、皆に嫌われてしまうと思う。
ああああ、怖い。
また嫌なことばっかり書いていることに気付いた。
こんなことは日記帳に書けばいいのかもしれないが、どこかの誰かに私の思ったことを知ってもらえる可能性がある、と思って書くのと、自分自身しか見ない日記帳では、書く力が違うような気がする。
要するに、私は誰かに打ち明け話をするのが好きなんだろう。
誰にするともない、人生相談?というよりは打ち明け話。
・・・。
客観的に見たら、ただの痛い話じゃねーか、ばーか。
ああ、もう本当に・・・。痛いって言葉、便利だな。まさに私じゃん。
何だか、冬の話から大分それてしまった。
気分があっちこっち飛ぶ、色んな自分、汚い自分が入れ替わり立ち替わり現れる、それに任せて打ち込んでいるからに違いない。
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