家族のために何かをしているときは、自分が正しいことをしていると確証が持てるような気がする。
妹の誕生日があった。
私と妹は先日喧嘩をしているので実は冷戦状態なのだが、
私はデパ地下にケーキを買いに行った。
柿○という某デパ地下惣菜屋で、普段より奮発したサラダやオードブルを買った。
いいケーキがあまり無くて散々歩き回った挙句、二人分くらいの大きさのチョコレートケーキと、小さなショートケーキを買った。
私の家は、もともとそんなにケーキ好きと言うわけでもなく、特に甘すぎるケーキはダメだから、小さいくらいで丁度良い。
母と妹の分だし・・・。
結構お金がかかったけれど、こういう風に遣うのは気持ちがいい。金のことなんか本気でどうでもいい。
母に「お金出すよ」と言われたが、断った。
父が死んで以来きりきり働いている母からお金を貰うのはどんなときも苦痛でしかない。
早く楽をさせてあげたい。でもそれは可能なのか?
話がまたそれた。
ケーキを買ったこと。
間違ったことをしていない、いいことをしている、相手に喜んでもらえる。
この最後の、相手に喜んでもらえる、それがあるだけですごく自信を持って、ためらわずにお金を使うことが出来る。
自分の服を買うのは、逆に気が引ける。
これを買ったら母親に叱られるんじゃないか、私はものすごくいけない無駄遣いをしているんじゃないか、そう思ってなかなか買うことが出来ないで過ごしている。
今、私のなかの全ての悪いもの、それを償うには人のために何かをすること、そうじゃない?
家族にかけている心理的負担、今まで浴びせてきた悪い言葉、私の行動によって家族が傷ついたこと、
それを償うんだ。
冷戦中ということになっていたが、
妹はケーキやオードブルの数々を見て、「ありがとう」と言ってくれた。
一緒に食べる事は出来なかったけれど、
私はその言葉だけで、今日の夕方走り回ったことが一気に報われた気持ちになった。十分すぎるほどだ。
人のためにしているようで、実は「自分のため」になっている。
それでは、これは偽善なのか?家族のために、は嘘なのか?
だけど、人が喜んでくれると嬉しい、それだけは絶対に嘘じゃない。めんどくさいこと考えないで、今はそれでいいじゃないかとも思う。やたら物事をややこしくするのは、自分の悪い癖である。
自分の中に渦巻いている感情を整理するには、
ひたすら人のために何かをすること。
それが一番いいのかも知れない、と思った。
人のためになっていれば、少なくとも何かの役に立っているわけだ。
自分の存在は家族の、周りの人の、迷惑でしかないという気持ちから少し脱出できるのだ。
vomitするための買い物をしていても、必ず他の人が食べるちゃんとした食材を一緒に購入している。
そうすることで、「私、悪いところだけじゃないよね、良い所も少しはあるよね?」と確認したい。そう思ってもらいたい。
そんな様な気持ちがあってのことだと、自分でも分かっている。
精神年齢9歳くらいか?
「私、いい子だったよね?」
↑これはJ・D・サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』に出てくる、エロイーズの台詞。
*
妹へのバースデープレゼントは間に合わなかった。
これから選ぶのだが、またそれも楽しみだ。
自分の物を買うよりもずっと楽しい。心が軽い。
妹の誕生日があった。
私と妹は先日喧嘩をしているので実は冷戦状態なのだが、
私はデパ地下にケーキを買いに行った。
柿○という某デパ地下惣菜屋で、普段より奮発したサラダやオードブルを買った。
いいケーキがあまり無くて散々歩き回った挙句、二人分くらいの大きさのチョコレートケーキと、小さなショートケーキを買った。
私の家は、もともとそんなにケーキ好きと言うわけでもなく、特に甘すぎるケーキはダメだから、小さいくらいで丁度良い。
母と妹の分だし・・・。
結構お金がかかったけれど、こういう風に遣うのは気持ちがいい。金のことなんか本気でどうでもいい。
母に「お金出すよ」と言われたが、断った。
父が死んで以来きりきり働いている母からお金を貰うのはどんなときも苦痛でしかない。
早く楽をさせてあげたい。でもそれは可能なのか?
話がまたそれた。
ケーキを買ったこと。
間違ったことをしていない、いいことをしている、相手に喜んでもらえる。
この最後の、相手に喜んでもらえる、それがあるだけですごく自信を持って、ためらわずにお金を使うことが出来る。
自分の服を買うのは、逆に気が引ける。
これを買ったら母親に叱られるんじゃないか、私はものすごくいけない無駄遣いをしているんじゃないか、そう思ってなかなか買うことが出来ないで過ごしている。
今、私のなかの全ての悪いもの、それを償うには人のために何かをすること、そうじゃない?
家族にかけている心理的負担、今まで浴びせてきた悪い言葉、私の行動によって家族が傷ついたこと、
それを償うんだ。
冷戦中ということになっていたが、
妹はケーキやオードブルの数々を見て、「ありがとう」と言ってくれた。
一緒に食べる事は出来なかったけれど、
私はその言葉だけで、今日の夕方走り回ったことが一気に報われた気持ちになった。十分すぎるほどだ。
人のためにしているようで、実は「自分のため」になっている。
それでは、これは偽善なのか?家族のために、は嘘なのか?
だけど、人が喜んでくれると嬉しい、それだけは絶対に嘘じゃない。めんどくさいこと考えないで、今はそれでいいじゃないかとも思う。やたら物事をややこしくするのは、自分の悪い癖である。
自分の中に渦巻いている感情を整理するには、
ひたすら人のために何かをすること。
それが一番いいのかも知れない、と思った。
人のためになっていれば、少なくとも何かの役に立っているわけだ。
自分の存在は家族の、周りの人の、迷惑でしかないという気持ちから少し脱出できるのだ。
vomitするための買い物をしていても、必ず他の人が食べるちゃんとした食材を一緒に購入している。
そうすることで、「私、悪いところだけじゃないよね、良い所も少しはあるよね?」と確認したい。そう思ってもらいたい。
そんな様な気持ちがあってのことだと、自分でも分かっている。
精神年齢9歳くらいか?
「私、いい子だったよね?」
↑これはJ・D・サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』に出てくる、エロイーズの台詞。
*
妹へのバースデープレゼントは間に合わなかった。
これから選ぶのだが、またそれも楽しみだ。
自分の物を買うよりもずっと楽しい。心が軽い。
コメント
幸せな人だと思います。。
私も見習います♪
幸せですか・・・そうですよね。
ネガティブに思う必要なかったな、ポジティブに考えようって思いました。ありがとうございます☆
プレゼントを何にしようかって思い巡らすのは、すごく楽しいです。たまにあるイベントだからかな・・・