この問題に目をやると、ああ何だかな、としか思えません。
灘高もか・・・。

この時期から補修の負担がかかるのは非常に酷なことだと思います。
その分今までの授業時間は受験科目に充てられていたじゃないかと言えばそうですが、
その今までの時間を必修科目を普通にやるほうを取るか、
それとも受験が迫った時期に補習として受講するか、
と聞かれれば、私ならまず間違い無く前者を取ります。

ちなみに、私自身の履修漏れは絶対に無いと断言できます。
(何だかいつもと文体が違いますが、感想ということで気分が普段の日記と違うのでお許しください。この日記、偽善者っぽい文かも・・・)

私の高校は、文理のクラス分けはなく、
高校2年まで皆全て同じカリキュラムで、3年間で全ての教科・科目を履修させる形式を取っていました。

3年からのみ単位制となり、自分の学びたい科目、強化したい科目を自己責任において履修しますが、2年までに入りきらない科目は必修単位として3年でも履修が義務付けられました。

結果、
   現代文、古文、漢文
   数学?〜?、数学A〜C、
   英語(Reader、Side Reader、Oral Communication、Grammar、Writing)
   世界史、日本史、地理
   倫理、政経、現代社会
   化学、物理、生物、地学
   芸術、保健、体育
   家庭科(2年と3年)←3年の時は調理実習が心のオアシスでした(笑)
   フランス語(選択制、2年間だけ、放課後行われた)
   
詰め込みすぎ、でしょうか?
余談になりますが、理科は実験を毎週行っていたので、更に大変でした。時間が過ぎてしょっちゅう放課後になっていました。
でもすごく楽しかったです。提出する生物や化学の実験ノートから、実験の力の基礎、研究の基礎を教わった生徒はとても多いと思います。チェックがものすごく細かかったので・・・(笑)

私は理系で生物専攻ですが、
高校で学んだ政治経済も世界史も物理も倫理も漢文も地理も、本当に役立っています。
大学に入ってからの勉強でも、生活においても、あらゆる場面で、引き出しに入っている過去の知識が私を助けてくれました。

こうしてみると、全ての科目を満遍なく学べる学校で本当に良かったと思います。
全人教育を理念としている高校で良かった。

「受験」の実績をあげる、という点で見るなら、
この方針は確かに非効率だと思います。
実際、私の母校の浪人率は、学区で一応トップの癖に5割程度でした。全然ぱっとしませんし、東大合格者の数も減っています。

現在は体制を色々変えているようですが、私としては「受験教育」ではなく、「全人教育」の精神を忘れないでいて欲しいと思います。

そのときは全て学ぶという方針に文句を言った覚えもありますが、あのとき受験のためだけに学んでいたら、今の自分は無かった。
今よりももっと視野の狭い、底の浅い人間になっていたと思います。

受験生の気持ちは想像できます。
貧乏くじをひいた、何でこの時期に!って思っていることでしょう。
必修科目のことまで分かるか、学習指導要領なんか知るか、
高校では先生の言う通り、設定する通りちゃんとやっていれば良いと思っていたのに…。

確かに高校生には必修科目を知らない子も多いでしょう。
これから受験・進学することになる大学では、履修届けを自分で出し、必修の履修は自己責任で行われます。
しかし、高校生に自己責任意識を言っても仕方ない気がします。

今まで世界史を学べなかったのは損だ、
という気持ちにはきっとなれないでしょう。

それはまあ当然と言えば当然の心理だと思います。
日本のトップレベル大学は「入学は難しく、卒業は比較的簡単」ですし。

今は分からないでしょうし、一生分からない人もいるかもしれません。
(受験科目だけを、という主義の人が、東大法学部に入って日本の行政や教育制度を担うことになるのはちょっと寂しい気もしますが・・・
ただ、自分で視点や視野を広げられる人ならその後発展するのでしょう。

しかし言わせてもらうならば、高校生の時期に、その感性で触れることが大切な知識・分野は様々あり、限定されるべき物ではないと思います。)

悲しいと思うのは、大人の姿勢です。
学校が率先して学習指導要領を無視し、目先のメリットを重視していたということです。

教育に関わる大人は、それに理念や熱意を持ってその世界に入ってきた人たちではないでしょうか。
青臭いことを言うんじゃない、現実はもっと厳しい、
受験対策が高校の役目だ、合格実績だ、
と言うなら、なんだか悲しいです。

多分これは、青臭い若造の机上の空論、理想主義、そんな風に片付けられてしまう考え方なのかもしれません。
でも、受験科目しか教えない、それでいい、としてしまうのは、
ものすごく大切なこと、教育において土台となることを忘れているのじゃないでしょうか。

教育実習したときに思いましたが、
学校で人を教育するとは、人に叩き込む、詰め込む(cram)ことではなく、
知識によってその人の視野を広げ、深みを持たせること、
人間を形成する手伝いをすること
だと思います。
cram したいなら、cram school(進学塾、大学受験予備校)があります。
通うにはお金がかかりますが、だからって高校がcram school化していいでしょうか。

その考えが青臭いんだと言うなら、別に自分は青臭くてもいい、と今は思っています。
免許取得した癖に教育の道に行かなかった私が言っても、ご勝手に、って感じかもしれないですが。

cram school(Answer.comより)
n.

A school especially in Japan that prepares its students for university entrance examinations by way of an accelerated curriculum.

"especially in Japan"ですか・・・。

ちなみにcramの定義ですが、
他動詞では(Answer.comより)

1. To force, press, or squeeze into an insufficient space; stuff.
2. To fill too tightly.
3.
1. To gorge with food.
2. To eat quickly and greedily.
4. Informal. To prepare (students) hastily for an impending examination.

hastily...

コメント

anonymous
anonymous
2006年11月2日14:09

「あれ,うちの母校?」と思うぐらい似たような高校でした(笑)
そんなはずないですよね.東京ですし…

「全人教育」って,同じことを言っていました.
長い目で人生見たら,そっちのほうがずっと得だと思います.

ちき
ちき
2006年11月3日0:10

anonymousさん、コメントありがとうございます。

私の高校は進学実績のぱっとしない都立高校です・・・(汗)
同じ理念を持っている高校って、探せば結構あるのかもしれないですね。

私は怠け者なので、手っ取り早く視野を広げるには一番良い高校だったと思っています(笑)。お得ですよね!
かなり役に立っています。

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