またなんか真面目ぶった日記を書いてしまった気がしますが、
別に嘘を書いたわけでも無いので、そのままにしておきます。

見るときの気分によって、自分の書いた文の印象がころころ変わるのをなんとかしたい・・・。
今は何だか恥ずかしい感じです。

冷静に読み直してみれば、
若造が偉そうに何を、ですよね。すみません。

しっかりと物を言え、
読み返して恥ずかしくない文章を書けるようになるのは、
物を言う資格が持てる人間になれるのはいつだろう。

コメント

淵瀬春秋
淵瀬春秋
2006年11月2日13:15

 恥ずかしいかもしれませんが、私の目には、非常に興味深く写りました。
 教育と学習と勉強(と探求)の違いを定性的に捉える事が出来れば、自ずと浮かんでくる正論だと私は思います。
 ただし、私の出発点はちきさんとは全く逆の方向、私は理系進学に特化した、理数科の出身です。入学から卒業まで、文系の教科は最低限度として数学と理科を山と叩き込まれました(物理は全然だめなんですが、よく卒業させてくれたもんだ、ってか追い出されたのか)。・・・ただし大学は文系理系がごっちゃの総合科学部で専門の卒業単位には美術史とか入ってます。総合とはいえ就職試験で必要だった農学関係の教科は大学で習わず、院のとき独学しました。

淵瀬春秋
淵瀬春秋
2006年11月2日13:48

 色々な事を学び、知る事は大切で、出来れば若い時の方が記憶力や発想の柔軟さが高くていいかもしれません。ちきさんの高校ではその辺りの事を考えてのカリキュラムなのでしょう。一方で私の方は、実験や実習、単位にはならないが好きならずっとやってていい、という地学の実験を延々やったり、鉱物顕微鏡をのぞき続けたり、と言う時間を過ごしました。
 私は進学や就職で少しはかじった専門をふいにしてきたかも知れないけれど、その間の辛さ、楽しさ、苦痛、色々な物に対して免疫を持てるようになってきたのかもしれない、と思う事があります。でもそれは十分なおじさんになって気づいた事。
 早くに気づかれたちきさんは、今後一層自分の能力を伸ばして行くでしょうし、専門馬鹿には判らないバイタリティを発揮するに違いありません。
 もう一つ必要な物があるとすれば、それはいざと言う時に逃げ込める何かを持つ事かもしれません。私は職場の夜の図書館で、泣きながら文献を探してさまよってましたよ。

ちき
ちき
2006年11月3日0:03

淵瀬春秋さん、どうもありがとうございます。こんなに長いコメントをいただいて、恐縮すると同時に嬉しいです。

偉そうなことを書いてしまいましたが、
全て学んだと言ってもいつもいつも真面目に勉強していたわけではありません。
世界史等は、覚えることが多いのでいつも試験前に苦しんでいました・・・(汗)

きっと淵瀬さんの高校は優秀な進学校なのだと思います。
周囲の優秀な人たちに聞くと、ほとんどの方が理数系コース出身です。生物等は勉強しなかったという人も結構多いです。しかし研究においては全く問題なく、すごく優秀です。もともと備わっている力が違うなあと感心もし、自分を恥じたりもします。
学校教育が為せることはもしかしたらものすごく少ないのかも知れないのに、大きなことを言ってしまったと感じています。

私の行っていた都立高校は、統一カリキュラム、かつ自由すぎて勉強しない人は全然勉強しないため、浪人する人が非常に多かったです。
受験勉強熱心と言うよりは、3年の秋まで学園祭に力を入れていて、今思うとのんびりしてました(汗)。

だから、もしかするとそのカリキュラムのままでは少子化の波に飲み込まれてしまうかもしれません。
また年々レベルが下がっていると聞き、卒業生としては悲しい限りです。高校単位の生き残りを考えると、「受験重視」は当然の傾向なのでしょうね。

ちき
ちき
2006年11月3日0:04

しかし、高校生の時に受験対策でなく勉強した事だって、後々すごく役に立つよ、って高校生に言いたかったのです。
淵瀬さんも仰るように、免疫が持てる、というか・・・。
生物でも、たとえば生態学では物理学、数学が非常に重要になりますし、それだけではなく、社会学、経済学、とさまざまなことを英語を使って勉強しなければならなくなります。
そうしたとき、理系だから英語は・・・とか、社会は・・・等と拒否反応を持ってしまうのと、そうで無いのとは全然違うと思います。

それ以外にも、たとえば実験をたくさんしたことは科学に進む人にとっても、他の人にとっても大きな糧だと思います。
ご自分の興味・関心にしたがって熱心に実験された体験は、
今の淵瀬さんに大きく役立っているのではないでしょうか。
余談ですが、私は化学実験がすごく好きでした(特に爆発のある実験が・・・笑)。

父は教養学部出身で、専門外の色んなものに興味を持つことの大切さを常に言っていました。今は教養学部が減少している、役割が問われていると聞きます。その問題と、なんだかこの問題はリンクしてくるような気がするのです。人として知識を増やし、教育する理念は何か、というか・・・。

私は現代文等の文系科目よりも理系科目の出来が悪い、という生徒だったので、専門外に目をやるのは自然な「逃げ道」だったのかも知れません。ただ、淵瀬さんの仰る「いざと言うときに逃げ込める何か」かどうかは未だ?です。

しかし、そのことを考えると想像力がにょきにょきと伸びるような、そういうことは幸いなことにあります(抽象的な表現ですが)。
今は生意気なことを言うよりも修行の必要な時期です。しかし、いつか(いつでも)そこに駆け込めるよう大切に持っておきたいです。

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