是非はともかく、このネーミングセンス、言い方に私はびっくりした。

熊本の病院に赤ちゃんポスト、養育できない新生児受け入れ
ソースは↓
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_06110951.htm

ポストの名称は「こうのとりのゆりかご」というそうだ。
だけど、「ポスト」ねえ・・・。

確かアメリカでは生後一定期間まで赤ちゃんを教会等の前に棄てても罪に問われないという法律があったような気がする。
向こうでは育てられなくて子供を殺してしまうケースが多く、それを軽減するための手段らしい。

赤ちゃんポストはすでにドイツにある。

しかしこのネーミングに違和感あるのは私だけ?
どうも引っかかってしまう。
何か、物みたい。ポスト→投函というイメージがあるから。


メモ
アメリカ中間選挙
ヴァージニア州一議席
ラムズフェルド国防長官更迭
『私は絶え間ない批判を受けてきたが、その批判から学ぶことも大きかった』

しかし、ブッシュはこんなに人気が無いのにあと2年間やらなきゃいけないのか。I Hate Bushは流行語かと思うくらい色んなところで聞く言葉だ。My SpaceのProfileで、当たり前のように、
・・・And of course, I HATE BUSH ^−^, HEHE LOL
などと書かれてたりする。


自殺予告だけでなくいじめた人を殺すという予告までした子がいるらしいが、復讐としてあまり利口なやり方とは思えない。
というか、死自体が復讐としては(として見るならば)決してベストではない。

"Living Well Is The Best Revenge"
というのはあまりにも無責任かも知れないけれど。
私だって、出来ないんだし。

コメント

淵瀬春秋
淵瀬春秋
2006年11月10日8:03

国連の国際子供年の時、たしかストックホルムの教会には、「赤ちゃんを捨てるならこのバスケットに入れてください」というのがあったと言うのをテレビで見ました(ちきさんは生まれていない頃です)。
ポストの話だと親権の関係がどうなっているのか等はこれからの議論のようですね。乳幼児と3才未満の養子縁組(産みの親は親権を放棄する)は20倍以上の倍率だった、というのをwwwで見たときには、赤ちゃんポストに入れた時点で親権を放棄したと見なし、子供のいない夫婦に親権と共に赤ちゃんを与えるのが妥当だと思いました。
一方で親権は産みの親のまま同様の年齢から15-18才位まで育ててくれる人を募集するという、「お前はカッコウか!」っていう制度もあったりします。親の社会的事情もあるのでしょうが、厄介な時期を人に任せておいて自立できるようになったら自分の子供、余りに都合良すぎるんじゃないでしょうか。

ちき
ちき
2006年11月10日10:22

淵瀬春秋さん、いつもコメントありがとうございます。
書き殴りのような日記にこうしてコメントいただけると、嬉しいと同時に恐縮してしまいますね^^;

私だったら18になっていきなり出てきた実の親に孝行したいという気持ちが起きるか疑問ですね。
やっぱり自分の成長を見守り、育ててくれた親に恩返しをしたいと感じるだろうと思います。

結局子供は巻き込まれる存在ですね・・・。
望まない子供、育てられない子供は生まない、
そのための教育を等しく行わなければいけないのに、今もそれは十分ではないと感じています。

私自身、中学までの義務教育の間に保健などで性教育をきちんとされてきた記憶がありません。

高校ではしっかり保健の時間が取られましたが、
中学では保健の時間は体育に振り替えられるか、自習になるか、その他HR的に使われる時間でした。

当時は何とも思いませんでしたが、大人になって考えると、由々しき事と感じます。

淵瀬春秋
淵瀬春秋
2006年11月10日18:12

私の場合、現象面に関する性教育は高校までに教えられたと思います(Hってどんなもん?って事は習ってないです)。大学の教養課程では、(体外受精がまだ一般的ではなかった)現代の結婚の持つ人間的・社会的意義と自己の認識、ここに至るまでの歴史的過程、子供を作り育てることの人間的家庭的社会的な捕らえられ方について、保健の時間に学ぶことが必須でした。とはいえ、そんなことが平穏無事に単位となって帰ってくるのは、母校が市街地の真ん中にあり、性以外に幾らでも誘惑のあった時のこと。私が修士を出るときに大学が所謂田舎に引っ越しした時点で全てがブッ飛び、卒業式に子供連れとはいかなくてもマタニティウエアで出てくるなんて珍しくなくなりました。筑波大は3Sだと言われましたが、うちの大学なら2S、大学当局の対応の違いは、学生向け世帯寮があるかないかといったところでした。
一部の学校で「余りに具体的すぎる」と非難ぽい目で取り上げられる避妊法を含んだ性教育というのも、それを見る生徒の目にどう写るかは不明でありどうかなと思えたりしますし、学校という絶対的に生徒を守ってくれるシステムの中では、馬耳東風かもしれませんが、性の社会性・倫理性を中高生に教えることも性教育の一貫として必要ではないかと思います(大学ではもう遅い)。

ちき
ちき
2006年11月11日2:39

今の私の倫理観や性教育から得た知識は、殆ど高校時代に培ったものです。でも、義務教育は中学校までなのだから、中学でもきちんとしてほしかったなあと思います。
何せ、保健の授業が一回も無かったのです・・・ちょっと酷いですよね。

私の大学では、皆比較的ほのぼのとしていました。だから、あまり性を意識した事は無かったです。後輩で一人、学生結婚をし、子供を産んで授業に連れてきている子がいましたが・・・。

しかし、本当に性教育や生命についての学習が必要な人たちは、もっと見えないところに溢れているのだと思います。

>性の社会性・倫理性を中高生に教えることも性教育の一貫として必要ではないか

本当に、仰る通りだと思います。

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