必ず死ぬ

2006年11月10日
In the long run we are all dead.

John Maynard Keynes

自殺したからといって、思うほど世界は変わらない。
あなたのDNAが後代に伝わらないこと、生存活動によって環境に及ぼす影響が一人分減ること、生物としてはそれだけ。

そして、社会的にはどうだろう。
生命という代金を払うほどインパクトがあるだろうか。

実際生物は皆死ぬ。客観的に見ればその時が早いか遅いかの違いである。
死は避けることが出来ない。

私は死を憧れるが、それは死が安住の地であると思うからだ。
これ以上苦しまなくて済むと思うからだ。
多分、自殺しようとする人は皆同じように思うのかも知れない

しかし、結局行き先が死ならば、そこまでに本当の生き方をしておきたいと思う。苦しいまま死んで行くのは・・・。
これは自分自身への言葉でもある。

自分が生きていると感じられるような、本当の生き方、lifeをしてから死にたい。

本当の生き方をするのに、死んでしまってからでは遅すぎる。
死後の世界など信用できない。そんなものは存在しないかもしれない。
輪廻転生を私は信じない。少なくとも、DNAを残していないうちは。

死は、いつもすぐそこにあり、死のうと思えば死ぬ事は出来る。
死のうと思わなくてもいずれは死ぬ。
死は誰の人生にも必ず存在する不可欠な段階である。

父の死が、死が教えてくれるのは、
本当の生き方を待っていてはいけない、すぐにでも始める必要がある、

本当にしたい事は先送りにしてはいけない

ということである。

漫然と生きるのも、暗いことを考えて生きるのも、
もし自分の意思にかかわらず
明日死がやってくるとしたら
どうだろう

死んでしまってから、

私、いい子だったよね?

そんなものは何の役にも立たない。風化していくだけだ。

生きることを始めるのは、いつからでも決して遅くはない―特に今自殺予告をしているようなあなたたちにとっては。

ルオーが絵を描き始めたのは晩年になってからである。

私たちに死が迫ってきたときには、もう体力と時間が無いかもしれない。

父は哲学の才能がありながら、
正直で人を思いやるがために苦しい人生を送り、
才能を発揮しきれず失意のうちに世を去った人物として、自分の心に強く残っている。

そうして、その死は、いますぐにでも生きることを始めなさいと言っているように思うのである。

memo

    
I once heard two ladies going on and on about the pains of childbirth and how men don’t seem to know what real pain is. I asked if either of them ever got themselves caught in a zipper.
Emo Philips

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