正しい情報であったとしても、それを知ることが弊害となる場合がある。

私の進路については、おそらくこのことが言えるのでは無いだろうか、と最近考えています。

修士に進学したとき、このまま博士課程に行って、
研究者の道を歩むことに何の迷いもありませんでした。

しかし、インターネットで検索するうち、博士になってその後の就職は非常に厳しいこと、パーマネントの職に就けるようになるまで(いつになるかは分からない)アルバイト状態であること、任期付きのの職でさえ獲得するのは難しいこと、その他さまざまなネガティブ要素に触れ、知らず知らずにその情報が脳内に浸透して行ったのでした。
世の中にニート、フリーター、格差社会という言葉が氾濫し、
職に就けなくなることへの恐怖が増して行きました。

そして、父が死んだことが決め手になりました。
もし、博士課程まで行って、職に就けなかったら。

奨学金だって返さなければいけない。
妹も大学に通っている。しかも、彼女は私立だ。

このことが頭から離れませんでした。
研究に集中しようとしても、これから先のことを考えてしまう。
親孝行したいときに親はなし。

その結果、私は研究への道を諦め、一般企業に就職しようと、
節操無く就職活動を始めたのでした。

しかし、専攻の分野は、就職活動などをしていて結果の出る分野ではありません。
私は今の結果で研究をやめる事は出来ない。

数ヶ月間色々なことを考え、ギリギリやっと結果に到達しました。

続きは後程

コメント

淵瀬春秋
淵瀬春秋
2007年2月24日15:22

就職浪人を博士課程後期で過ごして、なんとか食える口を見つけたので(当時は国家I種なら研究職に就けた)、農業試験場に就職してしまった。落ちてたらそのまま大学に残って先生の取って来たプロジェクト研究をやる事になっていた・・・。
 なんか恥ずかしい生き方です。
 人間の生態を農学の技法を使って表現しよう、という思いで望んだ就職も、今は何をしているもんだかって感じです。
 鬱になると動けなくなるけど、少なくともそうでないうちは、ちきさんに負けないように来年度は頑張ります。

ブリギッテ・チビリーノフ・サエチンスキー
2007年2月24日22:47

まったくその通りだと思ったので思わずコメントします。
「間違った情報をいれるのは危険だけど、取捨選択して正しい情報を選べば大丈夫」と思ってる人が多いですが、情報を知ること自体が弊害になることってすごくあると思います。子育てしていてもすごくそれを感じます。

ちき
ちき
2007年2月25日14:47

>>淵瀬春秋さん
独法化してからは、公務員として研究者を目指すのは茨の道になってしまいました。研究者になっても、奨学金の免除は受けられなくなりました。これでは、科学者になれる人が限られてしまいます。

淵瀬さんが羨ましいです。テニュアで研究していけるポストは、欲しいと思っても得られるものでは無い。それを獲得されたのは(謙遜していらっしゃいますが)、やはり優秀だからだと思います。

>>ブリギッテ・チビリーノフ・サチエンスキーさん
共感してくださって嬉しいです。

間違った情報の危険性は確かによく言われていますが、正確な情報でも、それが人の心にどのように影響し、どのようにその人を変えてしまうか。
そのことについてはあまり語られないがゆえに、もっと怖いと思っています。

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