捨てるのにはエネルギーが要る
2007年4月16日引越しの準備前段階として、持ち物をかなり捨てた。
物を捨てるのは、なかなか大変な作業だった。
そう言えば、『捨てる!技術』って本があったな・・・。
兎に角、めちゃめちゃATP(注:細胞のエネルギー通貨)を使ったような気分。
何で取っておいたのか分からないような物、
思い出深いもの、写真、手紙、論文の山、本、本、本・・・。
なぜ、モノはこんなにも増えてしまうのだろう。
ガラクタに関しては、あまり考えずに捨てることが出来るので楽だ。
しかし、本は「処分しよう」と決心するのが大変である。
恐ろしく古くて黄色くなったコリンズの仏英辞書ですら、躊躇してしまう。
線を引いて勉強したあとなどを見ながら、「このころの自分は勉強してたなあ」と反省したりする。
そうして、「ほかにも同じような辞書を持っているのだから、(処分しても)大丈夫」と、自分を納得させ、やっと処分に至る。
このdecisionを何度もしなければならないのは、苦しい(笑)
それなのに、実は昨日二冊本を買ってしまった。
更に、先週は、アマゾンで大型のペーパーバック二冊購入している。
物を減らさねばいけないときに・・・と、こんなときには少し後悔する。
そもそも、大型書店に立ち寄ったのが間違いだった。
家には父の所有していた本も沢山あるのだが、
遺品であるこれらにはさすがに手を付けられなかった。
出来れば持って行きたい。
(父の仕事のおかげで、家には色んな辞典や本がある。
これらは書斎にあるので私はタッチしていないが、家族に捨てられないことを願う。
・・・そんなことを言っているから、本が減らせないのか。でも、貴重な宝の山だと思うんだけどなあ)
捨てるのが大変なのは、他にもある。
自分の勉強したノート、教科書、参考にした論文(山とある)。
特に論文はめちゃくちゃある。
電子ジャーナルになっているものはいつでもPCから印刷できるのだが、古い論文や電子化されていないものはなかなか捨てられない。
また図書館に行って複写か、authorにメールかしなければならないと思うと更に難しくなる。
ノートも本当に捨てにくい。
勉強したノートのうち、自分の専攻に関係するものは研究においても結構基礎として役立つ。
が、そうでないもの
(趣味的に調べたものとか、教養課程の「芸術論」とか、教職課程の「理科教育法」とか)
は、そうした大義名分が与えられない⇒捨ててもよい、
ということになる。
ノートを開いて読み始めてしまったら、もう私の負けである。
幸か不幸か、ノートの取り方だけはお上手な学生だった(自画自賛してどうする・・・笑)。
分かりやすく面白くまとめてあるし、後から自分で調べたことも書き足してある。
取っておいて、また見たくなる。
この頃は専門以外にも色んなことに興味を持ってて偉かったじゃん、
と思うとともに、今の好奇心、視野の狭さが恥ずかしくなる。
こうして、「捨てる」という作業そのものは遅々として進まない。
それでも、今日は沢山の決心をしたせいか、かなりすっきりした。
それから、気持ちいい疲れと、若干の後ろめたさ(あれは捨ててよかったの?っていう)がある。
ゴミ収集車が行ってしまえば、その後ろめたさも消えて無くなるだろう。
物を捨てるのは、なかなか大変な作業だった。
そう言えば、『捨てる!技術』って本があったな・・・。
兎に角、めちゃめちゃATP(注:細胞のエネルギー通貨)を使ったような気分。
何で取っておいたのか分からないような物、
思い出深いもの、写真、手紙、論文の山、本、本、本・・・。
なぜ、モノはこんなにも増えてしまうのだろう。
ガラクタに関しては、あまり考えずに捨てることが出来るので楽だ。
しかし、本は「処分しよう」と決心するのが大変である。
恐ろしく古くて黄色くなったコリンズの仏英辞書ですら、躊躇してしまう。
線を引いて勉強したあとなどを見ながら、「このころの自分は勉強してたなあ」と反省したりする。
そうして、「ほかにも同じような辞書を持っているのだから、(処分しても)大丈夫」と、自分を納得させ、やっと処分に至る。
このdecisionを何度もしなければならないのは、苦しい(笑)
それなのに、実は昨日二冊本を買ってしまった。
更に、先週は、アマゾンで大型のペーパーバック二冊購入している。
物を減らさねばいけないときに・・・と、こんなときには少し後悔する。
そもそも、大型書店に立ち寄ったのが間違いだった。
家には父の所有していた本も沢山あるのだが、
遺品であるこれらにはさすがに手を付けられなかった。
出来れば持って行きたい。
(父の仕事のおかげで、家には色んな辞典や本がある。
これらは書斎にあるので私はタッチしていないが、家族に捨てられないことを願う。
・・・そんなことを言っているから、本が減らせないのか。でも、貴重な宝の山だと思うんだけどなあ)
捨てるのが大変なのは、他にもある。
自分の勉強したノート、教科書、参考にした論文(山とある)。
特に論文はめちゃくちゃある。
電子ジャーナルになっているものはいつでもPCから印刷できるのだが、古い論文や電子化されていないものはなかなか捨てられない。
また図書館に行って複写か、authorにメールかしなければならないと思うと更に難しくなる。
ノートも本当に捨てにくい。
勉強したノートのうち、自分の専攻に関係するものは研究においても結構基礎として役立つ。
が、そうでないもの
(趣味的に調べたものとか、教養課程の「芸術論」とか、教職課程の「理科教育法」とか)
は、そうした大義名分が与えられない⇒捨ててもよい、
ということになる。
ノートを開いて読み始めてしまったら、もう私の負けである。
幸か不幸か、ノートの取り方だけはお上手な学生だった(自画自賛してどうする・・・笑)。
分かりやすく面白くまとめてあるし、後から自分で調べたことも書き足してある。
取っておいて、また見たくなる。
この頃は専門以外にも色んなことに興味を持ってて偉かったじゃん、
と思うとともに、今の好奇心、視野の狭さが恥ずかしくなる。
こうして、「捨てる」という作業そのものは遅々として進まない。
それでも、今日は沢山の決心をしたせいか、かなりすっきりした。
それから、気持ちいい疲れと、若干の後ろめたさ(あれは捨ててよかったの?っていう)がある。
ゴミ収集車が行ってしまえば、その後ろめたさも消えて無くなるだろう。
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