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関東大震災から90年
2013年8月17日 日常またも久しぶりの日記になってしまった。
仕事に追われている証拠で情けない。適宜自分を振り返って内省すべきだった。
以下は考えがまとまらない現在の心境。
まとまっていないので文章が固く非常に分かりにくいかもしれないが、ここはただの日記なのでだらだら書こうと思う。
9月1日で、関東大震災を起こした大正関東地震(マグニチュード7.9、最大震度7程度=当時の地震計では震度6)の発生から90年だ。これは、相模湾から房総沖へ伸びる相模トラフというプレート境界で起きた地震だ。存命の被災者も少なくなる中、われわれは何を教訓として得て、役立ててきたのか。東日本大震災を経た今、何を改めて熟慮すべきだろうか。
仕事の関係もあり、最近はそんなことをずっと考えている。
そんな中、とある専門家から「地震防災において、われわれは(あやふやな段階の)科学に頼りすぎてきた。今もまだ信頼しすぎている。そうではなく、災害による死者から学べ」との言葉を得、はっとさせられた。
自分が相も変わらずマニアックな知見にこだわりすぎ、
情報の受け手にとって何が役に立つのかという考えが足りなかったことに気づかされたからだ。
地震関係の学問(地質学も)はその挙動を解明しようにも
細かい条件を全て考慮することは現状ほぼ不可能だろう。
つまり、何か科学的知見が得られたとしても、市民の知りたい「次の地震は何月何日に来るのか、どの位の規模なのか」という疑問にはっきり答えることは今できない。
例えば一昨年、首都圏の直下に南から沈み込んでいるフィリピン海プレートの深さが政府想定より最大10km浅いことが分かった。
だが防災上、そこから言えるのは、大体「今の政府が想定している予想震度よりも揺れが強くなるかもしれない」ということまで。
相模トラフのマグニチュード8級の大地震は、大正関東地震と一つ前の元禄関東地震の2つしか知られていない。
現在の科学で想定されている200年程度の発生間隔が正しいかどうか起きるまで分からない。
東日本大震災でプレートの動きに影響があるかもしれない。
そして、相模トラフの地震の前にマグニチュード7級の首都直下地震が今後30年に70%の確率で起きるとされている。この確率論もあやふやで、一時は4年以内70%と計算した研究があったが、その後同じグループにより同15~35%に修正されるなどしている。
そういうことを公表する度、社会にとまどいが生じる。
勿論、科学は想定や防災対策のためにあるのではなく、地球で起きる現象の科学的解明は重要なことだと思う。
問題は、それ以外の人々が何を最も知るべきかという判断だ。人は、自然だけでなく社会経済でも全てを知ることはできない。
パイプ役として、自分はどうすべきか。きちんとした研究内容であれば全てを伝えて後は受け手の取捨選択の判断に委ねるのか。それも大切なことかもしれないが・・・。
これはもう常に考えるしかない。そもそも、そういうことを判断するのがおごりなのかもしれない。
こうして悩んだ末に、一生のうち、一つでも自分が本当に満足できる仕事ができたら、
生物としての遺伝子を残せなかったとしても、生きている意味があるかもしれない。
仕事に追われている証拠で情けない。適宜自分を振り返って内省すべきだった。
以下は考えがまとまらない現在の心境。
まとまっていないので文章が固く非常に分かりにくいかもしれないが、ここはただの日記なのでだらだら書こうと思う。
9月1日で、関東大震災を起こした大正関東地震(マグニチュード7.9、最大震度7程度=当時の地震計では震度6)の発生から90年だ。これは、相模湾から房総沖へ伸びる相模トラフというプレート境界で起きた地震だ。存命の被災者も少なくなる中、われわれは何を教訓として得て、役立ててきたのか。東日本大震災を経た今、何を改めて熟慮すべきだろうか。
仕事の関係もあり、最近はそんなことをずっと考えている。
そんな中、とある専門家から「地震防災において、われわれは(あやふやな段階の)科学に頼りすぎてきた。今もまだ信頼しすぎている。そうではなく、災害による死者から学べ」との言葉を得、はっとさせられた。
自分が相も変わらずマニアックな知見にこだわりすぎ、
情報の受け手にとって何が役に立つのかという考えが足りなかったことに気づかされたからだ。
地震関係の学問(地質学も)はその挙動を解明しようにも
細かい条件を全て考慮することは現状ほぼ不可能だろう。
つまり、何か科学的知見が得られたとしても、市民の知りたい「次の地震は何月何日に来るのか、どの位の規模なのか」という疑問にはっきり答えることは今できない。
例えば一昨年、首都圏の直下に南から沈み込んでいるフィリピン海プレートの深さが政府想定より最大10km浅いことが分かった。
だが防災上、そこから言えるのは、大体「今の政府が想定している予想震度よりも揺れが強くなるかもしれない」ということまで。
相模トラフのマグニチュード8級の大地震は、大正関東地震と一つ前の元禄関東地震の2つしか知られていない。
現在の科学で想定されている200年程度の発生間隔が正しいかどうか起きるまで分からない。
東日本大震災でプレートの動きに影響があるかもしれない。
そして、相模トラフの地震の前にマグニチュード7級の首都直下地震が今後30年に70%の確率で起きるとされている。この確率論もあやふやで、一時は4年以内70%と計算した研究があったが、その後同じグループにより同15~35%に修正されるなどしている。
そういうことを公表する度、社会にとまどいが生じる。
勿論、科学は想定や防災対策のためにあるのではなく、地球で起きる現象の科学的解明は重要なことだと思う。
問題は、それ以外の人々が何を最も知るべきかという判断だ。人は、自然だけでなく社会経済でも全てを知ることはできない。
パイプ役として、自分はどうすべきか。きちんとした研究内容であれば全てを伝えて後は受け手の取捨選択の判断に委ねるのか。それも大切なことかもしれないが・・・。
これはもう常に考えるしかない。そもそも、そういうことを判断するのがおごりなのかもしれない。
こうして悩んだ末に、一生のうち、一つでも自分が本当に満足できる仕事ができたら、
生物としての遺伝子を残せなかったとしても、生きている意味があるかもしれない。
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